コラム




日本の食事が変わった日 2010年8月13日 05:02

flour 001.jpg 今日 8月14日は、1950年日本政府が「パン完全給食実施」を発表した日です。

私もパンと脱脂粉乳の給食を体験した世代です。牛乳は中学に入学してからでした。

 「共生の恩恵」でお伝えしましたが、皇居の水田で「お田植え」をされ、

天皇陛下自ら、収穫されたお米などを神前にお供えする宮中儀式「新嘗祭」をはじめとして

日本人は米作りを通じて、生活、文化、社会、政治、芸能、思想、行動様式がつくられてきました。

 朝食、夕食の準備 ができた母は「ご飯が出来たよ」と呼びかけてくれました。

1日3回の食事のうち、1回が小麦でできたパンにかわる。体をつくる食べ物がかわる。特に、何千年

も受け継がれてきた主食の変化は日本人の食事の革命でした。

 

 日本人は数千年の昔から、穀物を常食としてきた「穀食民族」です。とりわけ、他の穀物よりも

おいしいお米は大切に作られてきました。

奈良、平安時代は、お米を「税」として徴収する制度ができたため、上流階級では、5分搗き、7分搗

き、さらに、白米にまで精米して食べる習慣が定着したそうです。

その結果、足にむくみが出たり、足の神経が麻痺して歩行困難になる「脚気」が頻発するようになっ

たそうです。

 

症状が進行すると、脚部から全身の異常へ広がります。無気力、全身の倦怠感、眠気、嘔吐、錯乱

意欲減退しうつ状態になります。

脚気は全身の神経障害の病気に広がり、心臓を取り巻く神経の働きが鈍り、心不全に至ります。

原因は、精米することでビタミンB1が不足するからです。

 

 徳川13代将軍家定、14代家茂は脚気が原因で亡くなったといわれています。

精米の常食で脚気は上流階級から発生し、長く悩まされたようですが、雑穀主体の庶民には、ほと

んど発病はなかったといわれています。

 

江戸時代も平和な時代が続き、元禄の頃になると江戸では、衣食に楽しみを求め、白米を食べる

習慣が庶民の間で広まり、とたんに体の不調を訴える者が続出したそうです。

地方から来た江戸勤務の武士は馬に乗れず、丁稚小僧も階段を登れなくなるといった状態が

国に帰って、玄米、雑穀を食べるとたちまち症状は回復して、元気を取り戻す。

当時、「脚気」を地方では「江戸病い」と呼ばれたそうです。

 

 明治になり、白米常食、「脚気」は江戸から地方都市へ広がりました。

特に、軍隊内での「脚気」の発症は顕著だったといわれています。

日清戦争で戦死者364人、脚気病死者4064人

日露戦争で戦死者85600人 脚気病死者27800人(脚気患い25万人)

銃を持ってもまともに行進出来ず、酒酔いのような状態で戦ったといわれています。

当時、特に陸軍では、「脚気」は細菌による感染症と考えられていたので、その対処法にも

いつ感染するかわからないという恐怖心が常にあったようです。

 

 大正末期になって、「脚気」はお米の精米に問題があったと結論づけられました。

ただし、精米度で玄米、7分搗き、胚芽米の3派に分かれました。

この時点で、白米が必要と主張した医学者、栄養学者はさすがにひとりもいなかったようです。

 

 

 しかし、日本の敗戦となった第2次世界大戦の混乱に乗じ、白米が国の定める法定米に

なってしまいました。

当然「脚気」の再燃を懸念した政府は、白米を中心とした新しい栄養改善策として、小麦を

白米と同様な扱い方をするとう前提で導入、動物性食品(肉、卵、乳製品、魚介)、油脂類

大豆製品、野菜類を多く摂るように、指導、教育が行われました。

 

 その結果、学校給食にパン、乳製品の導入が始まりました。

そして、これらの実施においては、当時、売り先を失い、買い手をさがしていたアメリカの

余剰生産穀物があてがわれました。

 

その後の経済発展とともに、元禄時代の江戸庶民のように豊か暮らしを謳歌し続ける現代人

には「脚気」以上の様々な難病とのお付き合いが待っていました。

そして、食物自給率も低下し続けています。

 

 

 



「三里四方の食の福」は何処へ 2010年7月31日 04:37

IMG_6807.jpg 今日7月30日はヘンリーフォードの誕生日。

1863年7月30日にアイルランド系移民の彼はアメリカ、ミ

シガン州の農家に生まれました。

 

幼少期から機械いじりを趣味としていた彼は、1903年6月

16日に自動車メーカー「フォードモーターカンパ二ー」を創

設、一台一台車を作っていた時代に、画期的な量産システ

ムを導入しました。1918年頃にはアメリカで保有される

自動車の半分はフォード社が占めるほど普及しました。

 

フォード社の設立された1903年は、その後、拡大する大量輸送時代の到来に欠かせないもうひとつ

の出来事がありました。

アメリカ オハイオ州の牧師の息子として生まれ自転車販売店を営んでいたライト兄弟は、世界初の

動力飛行を成功させました。

 

1903年は馬車から車へ、船から飛行機へと移動、運搬手段が代わる記念すべき年でした。

しかし、良いことばかりではありません。これらの道具は、その後、争いごとの兵器としてもそれぞれ

進化していきました。

 

ほぼ100年経った今、私たち日本人の暮らしも大きく様変わりしました。

世界中のおいしいもので賑わう日本人の食卓では、代々受け継がれてきた伝統食は「粗食」扱いに

なっても無理はありません。

 

ただ、かつて、がん、脳卒中、心臓病の「成人病」の低年齢化によって「生活習慣病」と呼称が変わっ

た頃から、生活の柱である「食生活」の質と量の改善が見直されています。

 

昔から「三里四方のもの食えば病知らず」「腹八分目の医者いらず」といわれてきました。

マクロビオティックにも、仏教で使われる「身土不二」という言葉を使います。

季節、その土地柄に合った食べ物が体にとって自然な食べ物で、病気になりにくいという考えです。

 

 

 晩年、ライト兄弟の弟オービルは、飛行機を作ったことを後悔している手紙を、自動車王ヘンリー

フォードに送っています。

1943年開催された、アメリカ特許局設立の150周年記念に招待され、「100年間の10大発明」

に自ら発明した飛行機を選択していません。

また、晩年に原子爆弾の投下に飛行機が利用されたことを、最後まで悔やんでいたということです。

 

 

 

 

 

 



共生の恩恵。 2010年1月29日 17:08

  少しご報告が遅れましたが、友人の手伝いで梅雨に植えた我が苗は、立派な稲穂に
成長いたしました。

 マクロビオティックといえば「玄米」ですね。古来、日本人は食べ物を神様からの
授かりものとして大切に扱われてきました。「いただきます」「ご馳走様」は神様、
食への感謝の言葉です。
 第二次世界大戦後、日本を管理したGHQは日本の国威発揚を恐れ、伝統行事を改名
させました。そのひとつである「勤労感謝の日」は元来、天皇陛下が自ら行う宮中儀式
「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる日を全国民が祝う日でした。皇居の水田で
「お田植え」をされ自ら収穫されてお米などを神前にお供えする大切な一日でした。

 このように、日本人の大切にしてきた季節感、美意識が薄れてきた原因は、さらに
1873年・明治6年まで逆のぼります。諸外国に閉鎖的だった江戸幕府から開放された
明治政府が国際化の第一歩となる新しい暦である「グレゴリオ暦」を導入したからです。
季節毎の行事をずれのある新暦で行うと少し違和感があります。旧暦の早め月が沈む
上弦の月の頃の七夕では織姫、彦星が見えるのですが、現在の新暦の七夕では梅雨に
あたり、天の川が見にくくなります。新暦の正月に届く「迎春」の文字にはいつも
違和感がありました。
 精度と合理性を兼ね備えた新暦は国際化社会には不可欠です。しかし、自然に則した
生活、特に食べ物の季節感がなくなって久しいです。春には「桜餅」「木の芽和え」
「菜飯」が、夏には「麦」「蕗」「筍飯」等の季語があったように、旬の食べ物を
いただき、その季節に適応できる身体に調節できる古来から伝わる食習慣をもう一度
見直す時ではないでしょうか。


ine1.JPG慣行農法(一般に行われている農法)と違い苗の列の間が広くあいています。
この空間が実は大切。
理由のひとつは稲が精一杯分蘖(ぶんけつ)してくれるように。分蘖とは茎の根に近い
節から新しい茎が発生することです。6年目に入って、やっと目標の半ば25本にまで
分蘖してくれたそうです。
もうひとつの理由は稲と共生している様々な虫たちが暮らし易くするためだそうです。


ine2.JPG稲よりも大きく育った雑草は一列おきに刈ります。
刈らない雑草は虫達の棲家として残すためだそうです。

ine3-1.jpg嬉しそうに、のびのび育つ稲です。

ine4-1.jpg8月下旬、稲の穂が出はじめて1週間が経ちました。
平らな一粒一粒が少しづつ膨らんでお米になります。


ine5-6.jpg恩恵。


ine7.JPG古代米のわらはとてもかたいので縄なんかとても編めないそうです。
今年はお知り合いに、正月用の締め飾りと草履を作られたそうです。残ったわらは
ゆっくり分解して土に戻ってほしいので、細かく刻むことあえてしないそうです。


ine8.JPGおすそわけ。黄色の人参は沖縄の「島人参」、桃色は「三日月大根」。
あっという間にお腹に収まりました。


  



その日の難を逃れるために。 2009年9月 3日 15:33

 今年は、梅を干す日数が限られる程すっきりと晴れ渡る日の少ない静岡でした。
梅干作りを始める頃の「梅雨」は急激な気温の変化はないものの、頭や体が重く
感じ、辛くなります。中国では昔からこの時期の水の性質を持つ「湿邪」が
体調を崩す原因になると考えられています。

 「梅干はその日の難を逃れる」という言葉があるように、この時期に作られる
梅干しはその殺菌力はもとより疲労回復、浄血作用、整腸作用にすぐれています。
マクロビオティックの手当てのひとつである、梅干、醤油、番茶で作る「梅醤番茶」
は季節に関係なく一年中愛飲される方が多いようです。

 毎年、梅干しに助けられている私は「お世話になります」という思いを胸に
今年も梅干作りをさせていただきました。

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鎮静菜 清正人参 2009年7月10日 04:20

「清正人参」と呼ばれたのは、中国名「芹菜」が朝鮮半島に伝わり
16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、加藤清正が持ち帰った野菜。
現代名セロリです。
今普通に出回っているのは、明治時代になって伝わってきた西洋種
「オランダみつば」のセロリです。
セリ科一、二年草で昔から鎮静作用などの薬効があることから「薬芹」
とも呼ばれていました。前回の筍と似た涼性で、肝が働く季節に熱を
冷まし、気のたかぶり等を鎮める野菜です。
葉の部分に多く含まれる有効成分には、血管を拡張し、中性脂肪や
コレステロールを下げる働きがあり、高脂血症による高血圧に悩む方々には
最適です。さらに、現代人には不足しがちな食物繊維も多く含まれています。
ただし、涼性なので体の冷えている人は食べ過ぎないで、少し加熱するなど
ひと工夫してからいただきましょう。

(1)太い茎より葉の部分に栄養価が高く豊富に含まれています。ビタミンC
 カリウムは水の中に流出して減少してしまう水溶性なので、生のサラダ
 の主役として「1日教室」に登場しました。
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(2)古くから薬草として珍重されていたセロリの独特の香りには、春から夏の時期に陥りやすい興奮やイライラを鎮める成分が含まれています。
6月のカフェでは、セロリとズッキーニのハンバーガーを召し上がって
いただき、日常からしばし離れ、ゆったりとした時間をお過ごしいただきました。



以前の記事
笑顔
旬の筍でした。
3人揃って食事


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